「あれ?道が……ない?」
ポケモン初代『赤・緑』をプレイした経験のある人なら、一度は不思議に思っただろう。なぜ、スタート地点であるマサラタウンには「道路」が存在しないのか。
道路標識や歩道、舗装されたアスファルトはおろか、通行ルートを示すようなビジュアルすら存在しない。
これは単なるマップ設計の簡略化なのか? それとも意図的な演出なのか?
本記事では、マサラタウンに道路が存在しない理由を、当時の技術的制約、ゲームデザイン、物語構造、そしてプレイヤー心理の観点から真剣に考察していく。
【第一の仮説】「技術的・容量的制約」説
1996年発売の『ポケットモンスター 赤・緑』は、ゲームボーイという8bit携帯機向けに開発された。
当時のソフトの容量は1MBにも満たず、グラフィックも2Dドット、マップデータは極めて制限された中で構成されていた。
マサラタウンに“道路”が描かれていないのは、そうしたメモリ節約の結果とも考えられる。
実際、初代のマップデザインでは都市部でも簡素なデザインが多く、マップチップを共有することで容量を抑えていた。
つまり、道路の描写そのものが削減対象だった可能性が高い。
だが、技術的制限だけで片付けるには、やや弱い部分もある。
なぜなら、他の町──たとえばクチバシティやタマムシシティでは明確な道路表現(アスファルトに似たタイルや横断歩道のような模様)が存在しているからだ。
マサラタウンだけが特別に簡素である点には、明確な意図が隠れていると見たほうが筋が通る。
【第二の仮説】「旅立ちの演出としての“自然”」説
マサラタウンには、建物が3軒しかない。
ポケモントレーナーの主人公の家、ライバルの家、そしてオーキド博士の研究所。
この極めてミニマルな構成が示すのは、都市的な生活基盤よりも自然との距離の近さだ。
ゲーム冒頭でプレイヤーが草むらに入ろうとした瞬間、オーキド博士に止められるのは象徴的だ。
「ポケモンが飛び出すから危険だ」──つまり、この町のすぐ外には文明と自然の境界線が存在している。
道路がないというより、「自然と地続きの場所」であるという印象づけが、ゲームの導入として機能しているのだ。
ポケモンという作品は、常に「人と自然、ポケモンとの共存」をテーマにしてきた。
その起点となる場所が、舗装された都市ではなく、あえて“道なき町”であるマサラタウンであることは象徴的である。
【第三の仮説】「プレイヤー心理の誘導」説
ゲームにおいて最初の町=スタート地点の印象は非常に重要だ。
マサラタウンに明確な“道路”が描かれていないことで、プレイヤーは「どこにでも行ける」「これから自由な旅が始まる」という感覚を無意識に抱くことになる。
仮に街中がしっかりと整備された道路や看板で区切られていた場合、旅の始まりが“管理されたルート”であると印象づけられてしまう。
これはポケモンにおける「自分だけの冒険」の価値を下げる結果となる。
言い換えれば、道がないからこそ“自分で道を作る”感覚が生まれるのだ。
この点は、後のシリーズでも意図的に踏襲されている。
特にオープンワールドに近づいた『スカーレット・バイオレット』では、最初から道路があってもそれに縛られないプレイスタイルが可能になっている。
その原点が、マサラタウンの“道なき出発”にあると捉えると、非常に筋が通っている。
【第四の仮説】「日本的田園風景の象徴」説
マサラタウンという名前自体、「マサラ=真っ新(まっさら)」という日本語由来の言葉遊びが背景にある。
つまり、まっさらな状態から始まる物語を象徴する町という設計だ。
これは日本的な田園風景、いわゆる“地方の郊外”のようなイメージと重なる。
昭和〜平成初期の日本においては、町中にアスファルト道路が完全に整備されていない地域も珍しくなかった。
プレイヤーが当時子どもであれば、そうした自然と隣り合わせの風景に親しみを覚えていた可能性は高い。
つまりマサラタウンは、当時のプレイヤーにとって現実と地続きの“架空の田舎”としてデザインされていたとも考えられる。
そのため、道路が無いことはむしろ“リアル”だったのだ。
【結論】道のない町は、自由の始まりだった
マサラタウンに“道路”が存在しないのは、単なる容量不足ではない。
それはプレイヤーに自然と未知の世界を強く意識させ、あらゆる可能性を感じさせる演出だったと考えられる。
我々はあの草むらの一歩から、無数のポケモンと出会い、数え切れない冒険をしてきた。
振り返れば、「何もない」マサラタウンだからこそ、何にでもなれる物語が始まったのだ。
つまり──
マサラタウンに“道路”がなかったのではない。最初から道を敷くのは、我々プレイヤーだったのだ。
ゲーム開始から数十秒で、ここまで深いテーマを提示していた初代ポケモン。あらためて、恐るべし。