あの出会い、偶然にしては出来すぎてないか?
ドラクエ4の物語。
プレイヤーなら誰しも胸を熱くした「導かれし者たち」の出会い──。
ライアン、アリーナ、クリフト、ブライ、トルネコ、ミネア、マーニャ、そして勇者。
全く接点のなかった彼らが、まるで運命に導かれるように次々と集結していく。
だが冷静に考えてほしい。
・世界は広い
・時代背景は中世風
・通信も交通網もまともに整ってない
そんな中で偶然全員が揃う確率、天文学的に低すぎないか?
しかも集まったメンバーは、ピサロ打倒において「ほぼ必要最小人数」で機能している。
もしかするとこれは、ただの偶然でも神の導きでもない。
「シンシアの願い」が呼び寄せた可能性があるのではないか──
今回はそんな大胆仮説をガチ考察していく。
そもそも勇者の出自にシンシアが深く関わりすぎている件
まず押さえておきたいのは、ドラクエ4のオープニングだ。
主人公(勇者)は「エルフの里」的な場所とも言える山奥の村で、シンシアに守られながら育つ。
重要なのは、シンシアがかなり早い段階から「自分が犠牲になってでも勇者を守る決意を固めていた」点だ。
山奥の村壊滅事件では、シンシアは身代わりになって命を落とす。
だが、この時点でシンシアの「願い」が残された可能性があるのでは?
「勇者が無事に旅立ち、仲間に出会い、ピサロを倒せますように」
これが後に“導かれし者”を招く要素になったと考えると筋が通る。
そもそも“導かれし者”という名称自体が意味深
作中でも公式設定でも、彼らは“導かれし者たち”と呼ばれている。
ならば「導いた存在」はプレイヤーが想像すべき余白として残されているのではないか?
シンシアは命を失い、もはや自らの肉体を持たない。
だが魂の願いだけは、世界のどこかに残り続ける──。
この「想いの残留」こそが、世界に影響を与え
導かれし者たちが引き寄せられる因果を作ったのだと考えられる。
そもそもドラクエ4の世界は「願いが力を持つ」世界
ドラクエ4の世界観自体が、“想い”や“願い”が現実を左右する構造になっていることを忘れてはいけない。
こう考えると、
「愛する人のために命を懸けたシンシアの願い」が形となって世界を動かしても、全く不自然ではない。
ある意味、ドラクエ4は『愛と執念と願いの物語』でもあるのだ。
ピサロも、エビルプリーストも、ロザリーも、そしてシンシアも。
全員が「誰かのため」を突き詰めて暴走したり救われたりしている。
この「願いの連鎖」の中に、導かれし者たちの邂逅も組み込まれていた──
というのは自然な考察だろう。
「もし現代に導かれし者システムがあったら?」
現代にこの“導きシステム”が存在したら、我々も「導かれし者たち」になっていた可能性がある。
──冷静に考えれば、これ全部「導き」だ。
もしもシンシア的な存在が我々の世界にもいたなら、
「今、あなたがここにいることも導きです」
と言われても、ちょっと納得してしまいそうである。
ロザリーとシンシアの“静かな連携”説
ここでさらに妄想を広げてみよう。
つまり、
「ロザリーがピサロに届かない願いを、シンシアが代わりに人間側で補助した」
という間接的な連携が成立していた可能性すらある。
ドラクエ4の裏テーマのひとつ「種族間の融和と対立」を考えると、この考察も結構しっくり来るのだ。
やっぱりシンシアは影のヒロインだった
冷静に考えれば考えるほど、ドラクエ4の物語を裏で整えていたのは
「命を賭して願いを託したシンシア」
だった可能性が高い。
・導かれし者たちの奇跡の集結
・絶妙なタイミングの出会い
・ピサロとの因縁を断つ物語の流れ
これらすべてに、彼女の「もう一つの冒険」があった──と妄想すると、ドラクエ4がより切なく、より深く感じられてくる。
やはりシンシアは、導かれし者たちの“ゼロ番目の仲間”だったのかもしれない。