ドラクエ5の主人公。奴隷、魔物使い、そして一国(グランバニア)の王。この華麗なる経歴は、我々の心を掴んで離さない。
だが、冷静に考えてほしい。
このグランバニアという国家、王様の不在期間が尋常ではない。というか、ほぼいない。
主人公の波乱万丈な人生の裏で、国家の根幹であるはずの王位継承システムが、あまりにもガバガバというか、もはや「善意と奇跡待ち」のギャンブル状態で放置されていた事実について、我々はもっと深刻に議論すべきではないだろうか。今回は、このグランバGメンも真っ青の杜撰すぎる継承制度に、全力でメスを入れていく。
グランバニアの「王」不在年表
まず、グランバニアの王がどれだけ職務を放棄…もとい、国を留守にしていたか、その驚愕の歴史を振り返ってみよう。話は主人公の父、パパスの代から始まる。
時系列 | 国王 | 状況 | 不在期間(推定) |
物語開始前 | パパス | 妻マーサを救うため、幼い主人公を連れて旅に出る | 約10年 |
青年期前半 | (不在) | パパス死亡後、主人公は奴隷に | 約10年 |
青年期後半① | 主人公 | 帰還後、試練の洞窟を突破し即位 | – |
青年期後半② | (不在) | 夫婦共々石化 | 8年間 |
壮年期① | 主人公 | 復活し、復位。すぐに天空の武具を探しに旅立つ | 断続的に不在 |
壮年期② | 主人公 | 魔界へ突入 | 長期不在 |
ED後 | 主人公 | 天空城へ移住? | 恒久的に不在? |
…おかしいだろ、どう見ても。
まともに玉座に座っていた期間を全部足しても、ヘンリーが更生するまでの期間より短いのではないか?パパスは息子が物心つく前から国を空け、主人公に至っては「王になったと思ったら石になってた」レベルである。
そもそも、グランバニアの王になるための条件はただ一つ。
「試練の洞窟の最深部にある『王家の証』を持ち帰ること」
…以上だ。 政治的手腕?経済観念?外交能力?そんなものは一切問われない。問われるのは、洞窟に巣食う魔物を蹴散らせるだけの物理的な「強さ」のみ。あまりにも脳筋、あまりにも直線的。この時点で、この国のシステムに大きな不安を覚えざるを得ない。
「国、滅びるて普通!」ツッコミどころ満載の国家運営
この基本情報を踏まえた上で、我々が抱く当然の疑問を叫ばせてほしい。
「なぜ、グランバニアは滅びなかったのか?」
普通に考えれば、これだけ長期間、国のトップが不在、しかもその継承条件が「ダンジョンクリアRTA」みたいな国が、何事もなく存続していること自体が奇跡である。
クーデター起き放題ボーナスタイム問題
「王様、10年帰ってきません」「次の王様、8年間石像です」…こんな国、野心的な大臣や将軍がいたら「ワイが王になる!」と100回はクーデターを計画するだろう。なぜかグランバニアには、そんな不埒な輩が一人もいない。清廉潔白すぎるだろ、ここの官僚。
外交どうすんの問題
周辺諸国との関係はどうなっていたのか。「グランバニアに使者を送ったが、王は不在だった」「また不在だった」「今度は石だった」…こんな報告が繰り返されれば、国として舐められて当然である。「もうグランバニアは滅ぼして、領土にしちゃおうぜ」という国が現れなかったのは、単に山奥すぎて攻めるのが面倒だったからとしか思えない。
危機管理能力ゼロ説
王が不在になった際のバックアッププランが、この国には存在しないように見える。摂政を置く、議会を機能させる、といった政治システムが一切描写されない。すべては、王の帰還を待つという「祈り」によって成り立っている。あまりにも、あまりにも不安定すぎる。
なぜグランバニアは存続できたのか?
この異常事態を説明するためには、常識的な解釈を捨て、より深く、より狂気に満ちた考察を展開する必要がある。
① オジロン大臣、実は超有能な影の統治者だった説
最も現実的な(?)説がこれだ。パパスの弟であり、主人公のおじにあたるオジロン。彼は主人公が帰還するまでの間、国政を担っていた。 我々は彼を「人の良いおじさん」くらいにしか見ていなかったが、それは大きな間違いかもしれない。
考えてみてほしい。兄王が10年失踪し、その息子が奴隷になっていた間、国を大きな混乱なく維持し続けた。さらに、甥が即位直後に8年間石化するという前代未聞の国難に見舞われても、国を崩壊させなかった。
このオジロンという男、とんでもない傑物ではないか?
彼の統治能力は、パパスや主人公を遥かに凌駕していた可能性がある。彼がその気になれば、王位を簒奪し、オジロン王朝を築くことなど容易かったはずだ。それをしなかったのは、彼の兄と甥に対する忠誠心と愛情が、常軌を逸するレベルで強かったからに他ならない。「兄上の血を引く王子こそが王に…」という、もはや信仰に近い忠義。グランバニアは、オジロンの「善意」という名の最強の防壁によって守られていたのだ。
② 「王家の証」絶対主義という名の国民洗脳説
グランバニアの王位継承の絶対条件、「王家の証」。このアイテムの存在が、国家の安定(?)の根幹を成している可能性はないだろうか。 つまり、グランバニア国民は、幼い頃からこう教え込まれているのだ。
「王家の証を持つ者こそが、絶対の王である」
たとえその者が昨日まで奴隷だった少年でも、8年間ホコリを被っていた石像でも、「王家の証」をその手にしている限り、疑うことなく王として崇める。これはもはや、一種の集団催眠、あるいは強力な宗教的刷り込みに近い。 個人の資質や不在期間など、些末な問題なのだ。「証」こそが全て。この絶対的なルールがあるからこそ、権力闘争や内乱が起こり得ない。システムの脆弱性を、狂信的なまでの精神論でカバーしているのである。逆に言えば、もしゲマあたりが部下に洞窟を攻略させて「王家の証」を偽造でもしたら、一瞬で国を乗っ取られていた危険性を孕んでいる。恐ろしい…。
③ サンチョとかいう影のフィクサー説
主人公の石化期間中、グランバニア城にいたのは誰か?そう、サンチョである。彼は主人公の子供たちの面倒を見ながら、8年間、城に留まり続けた。 表向きは「おもり役の従者」だが、彼の役割はそれだけだったのだろうか?
サンチョこそが、王不在のグランバニアを実質的に動かしていた影の権力者だったのではないか?
彼はパパスの代から王家に仕え、国の内情を誰よりも知り尽くしている。温厚でひょうきんな態度はカモフラージュであり、その実、オジロン大臣に的確な助言を与え、官僚たちを掌握し、国の舵取りを行っていた…。考えすぎだろうか?いや、あり得る。 主人公のことをいつまでも「坊ちゃん」と呼ぶのも、自分が真の保護者であり、実質的な統治者であるという意識の表れだったとしたら…?サンチョのあの人の良さそうな笑顔の裏に、底知れない深淵を感じずにはいられない。
④ メタ的ゲームデザイン説(身も蓋もない真実)
ここで少し冷静になろう。結局のところ、これは「ゲーム」なのだ。 開発者がプレイヤーに提供したかったのは、「過酷な運命を乗り越え、ついに一国の王となる」という壮大なカタルシスである。そのストーリーを盛り上げるため、国家運営のリアルな面倒くささや政治的な複雑さは、意図的に排除された。
全ては「プレイヤー体験」を最優先した結果なのである。国家の存亡など、主人公の物語の前では些細なこと。グランバニアは、主人公というスターを輝かせるための、壮大な「舞台装置」に過ぎなかったのだ。…こう言ってしまうと全ての考察が意味をなさなくなるが、この「開発者の都合」という名の絶対的な力こそが、グランバニアを滅亡から救った最大の要因であることは間違いない。
【結論】グランバニアは「国家の形をした奇跡」だった
長々と考察を重ねてきたが、結論はこうだ。
グランバニアの王権継承制度は、「善意」「信仰」「奇跡」そして「ゲームの都合」という、不安定極まりない要素の上に成り立つ、綱渡りシステムであった。
パパスの無計画な旅立ち、主人公の数奇な運命。その裏では、オジロンの胃がキリキリと痛み、サンチョが裏で根回しに奔走し、国民がひたすらに祈りを捧げることで、かろうじて国家の体裁を保っていた。クーデターを起こす悪人も、攻め込んでくる隣国も現れなかったのは、もはや奇跡としか言いようがない。
そう、グランバニアという国は、王が統治する王国などではない。
オジロンとサンチョの善意によって支えられ、国民の従順さという名の結界で守られた、「王様ごっこ」を国全体で全力で演じ続ける、世界で最も牧歌的で、そして最もスリリングなテーマパークだったのである。
我々がプレイしていたのは、一人の男の人生譚であると同時に、いつ崩壊してもおかしくない一つの国家の、奇跡的な存続ドキュメンタリーだったのかもしれない。