はじめに
全てのトレーナーが、その記憶を共有しているはずだ。 伝説のポケモンを前に、HPをギリギリまで削り、眠らせ、そして最後のハイパーボールを投げる。ボールがポケモンに吸い込まれ、地面に落ち、カチリと音を立てる。そして始まる、1秒が永遠にも感じられる、緊張の揺れ。
カチッ…(揺れ)…カチッ…(揺れ)…
この瞬間、我々は何をしていたか?そう。ゲームボーイが軋むほどの勢いで、Aボタンを連打していた。あるいは、Bボタンと十字キーの下を同時に押し込んでいた。それが、捕獲の成功率を上げるための、神聖な「儀式」だと信じて。
だが、もし、その必死の祈りが、我々の思い込みに過ぎなかったとしたら? 今回は、ポケモン界最大の都市伝説、「Aボタン連打捕獲率アップ説」の真相を、ゲームの内部データと、非情なる「捕獲計算式」から、徹底的に解き明かす。
我々はなぜボタンを連打したのか
この儀式が、なぜこれほどまでに広く、そして強く信じられてきたのか。それは、我々の人間としての、あまりにも自然な心理に基づいている。
コントロールの幻想
捕獲の成否は、突き詰めれば「運」である。しかし、人間は、自分ではどうにもならない状況に置かれた時、何かをすることで「自分が状況をコントロールしている」と感じたい生き物だ。ボタン連打は、運という名の奔流に逆らうための、我々のささやかな抵抗であり、コントロールの幻想を与えてくれる、唯一の手段だったのだ。
確証バイアス
我々の記憶は、非常に都合よくできている。ボタンを連打して捕獲に成功した時の「ほら、やっぱり効いた!」という強烈な成功体験だけを記憶し、失敗した時のことは「連打が足りなかった」「タイミングが悪かった」と、無意識のうちに自分の儀式の不備として処理してしまう。これが、伝説を強固なものにした、確証バイアスの正体だ。
コミュニティと儀式
何よりも、これは友達から友達へ、兄から弟へと受け継がれていった、「共通の文化」であり「儀式」だった。皆がやっている。だから、効果があるに違いない。その共同幻想が、我々の指を、無意識にAボタンへと導いていたのである。
捕獲計算式の前では、全てが無意味
では、我々の祈りとは裏腹に、ゲームの内部では一体何が起こっているのか。その冷徹な真実を、ここに開示しよう。
ポケモンの捕獲が成功するか否かは、ボールを投げた瞬間に、以下の要素を用いた一本の計算式によって、ただ一つの「捕獲成功確率」が算出され、その後の乱数判定で全てが決定している。
捕獲率に“本当に”影響する4大要素
相手のHP
残りHPが少ないほど、捕まりやすい。これは誰もが体感している通りだ。
状態異常
「ねむり」や「こおり」状態は、捕獲率を大幅に上げる。次に「まひ」「どく」「やけど」が続く。
ポケモンの捕まえやすさ
全てのポケモンには、種類ごとに設定された「捕獲率」という内部データが存在する。ポッポ(捕獲率255)が捕まえやすく、ライコウ(捕獲率3)が捕まえにくいのは、このためである。
ボールの種類
スーパーボールはモンスターボールの1.5倍、ハイパーボールは2倍といったように、ボールごとに定められた「捕獲補正率」が乗算される。
【捕獲計算式の概念】捕獲成功度 = (HPゲージの減り具合) × (状態異常ボーナス) × (ポケモンの捕まえやすさ) × (ボール補正)
この計算で出た「成功度」と、ゲーム内部の「乱数」を比較し、成否が判定される。
お気づきだろうか。
この計算式のどこにも、「Aボタンの連打速度」や「Bボタンを押した時間」、「プレイヤーの祈りの強さ」といった変数が入り込む余地は、1ビットたりとも存在しないのである。
“揺れ”という名の欺瞞
「だが、ボタンを押していると、ボールの揺れる回数が変わる気がした!」 そう反論する者もいるだろう。それもまた、悲しい幻想だ。
ボールが1回揺れるか、2回揺れるか、あるいは3回揺れて捕獲成功となるか。これもまた、ボールがポケモンに当たった瞬間に、別の計算式と乱数によって、すでに結末は決定しているのである。
我々が見ているボールの揺れのアニメーションは、内部で終わった抽選結果を、我々にドラマチックに見せるための「映像」に過ぎない。その映像の結末は、すでに決まっているのだ。我々のボタン連打は、映画館のスクリーンに向かって「主人公、逃げろ!」と叫んでいるのと同じ、切なくも無意味な行為だったのである。
儀式は無意味だった。だが、無駄ではなかった。
結論を言おう。 「Aボタン連打でポケモンは捕まりやすくなる」という伝説は、ゲームプログラムの観点から見れば、完全に“偽”である。
では、我々が必死にボタンを叩いた、あの時間は無駄だったのだろうか。 断じて、そうではない。
あの儀式は、単なる確率の揺らぎに身を任せるしかなかった、無力な我々の「祈り」そのものだった。それは、ゲームと我々プレイヤーの精神を繋ぐ、唯一のインターフェースだった。我々の意志を、願いを、コントローラーを通じてカートリッジに注ぎ込む、神聖な行為だったのだ。
コードが導き出す答えは、冷徹で変わらない。だが、我々の記憶は温かい。 だから、もしあなたが今、バーチャルコンソールで金銀をプレイしていて、伝説のポケモンを前にハイパーボールを投げたなら。 その指が、無意識にAボタンを連打し始めても、何ら恥じることはない。
その効果は「プラシーボ(思い込み)」かもしれない。 だが、そのプラシーボこそが、我々の冒険を、ただのデータではなく、忘れられない「物語」にしてくれたのだから。